30年以上前のことである。
母親の実家(高知県安芸郡東洋町)に僕は盆と正月必ず帰っていた。
母親の父親つまり僕のじいちゃんがやってる魚屋の手伝いをする為である。
高知県東洋町は、あの歌手でタレントの円広志(まどかひろし)氏の生まれ故郷でもあり、彼はじいちゃんの魚屋にもたまに顔を出してくれていた。
まだ小さかった僕が初めて出会った芸能人でもある。
そんなじいちゃんはゆずの山を持っていた。
収穫したゆずは「魚を食べる時にゆずの果汁をかけると抜群に美味しくなる。」と料理に使う以外はなぜかほとんど捨てていた。
このゆずの果汁は、高知県では
【ゆのす】と言ってかなり重宝されている。
じいちゃんが数年前に亡くなり、僕がゆずの山を貰い受け、これを搾って売ってみようと保健所に問い合わせ瓶詰め加工を行った。
生活の為になんとか売上をたてないと…
生き残りをかけてビーチフェスタへの
参加を決意
元々じいちゃんは柚子を余ったら捨てていたので売り先がない。
そして僕は考えた。とにかく人が集まる場所で販売しかない…と。
さっそく知り合いの主催者に頼み込んでビーチフェスタイベントに参戦。
主催者の話だと、当日は2000人以上集まりそうとのことで、否が応でも期待が高まった。
目指すは300本(1本1500円)、 一日で45万の売上を見込んでいた。
イベント前日は友達や家族と夜通し柚子の果汁を瓶に詰める作業が続いた。
とにかく全部売り切れると根拠のない自信だけが自分を後押しした。
友達にも売り子を頼んで、事前に作っておいたオリジナルTシャツを着てもらう気合いの入れようだった。
そして、ついにビーチフェスタ開幕。
大行列で飛ぶように売れるのかと思いきやたったの1本も売れない。
それもそのはず、真夏の暑い時期にそのまま飲めない酸っぱいだけのゆずの果汁なんて売れるはずがない。
せめておいしいゆずジュースの販売なら…と後の祭りである。
そんな時、唯一高知県出身のおばちゃんが「地元でよく使っていた、懐かしい」とのことで2本買ってくれた。
商品を販売していて、涙を流して
「ありがとうございました。」と言ったのは初めてのことである。
結果として売上は67500円(税込み)。
結果は散々…
それでも前を向こう
夏のビーチで、そのまま飲めないゆずの果汁(割材)の販売としては、大健闘したと今ではそう思う。
販売本数は45本。
徹夜で作った本数300本に比べたらたいしたことはないが、それでもそれなりに売れた方だと思う。
その理由は、イベント終了間際に出店者側の人達が、全く売れてないうちの売り場が余りにも哀れで「会社の若い子らにたくさん配るよ」と買ってくれたからである。
最終的にみんなが無給で働いてくれたおかげで結果は黒字。
あまり覚えてないが、収支は約1万円程だったように思う。本来なら大赤字だったことは間違いない。
ビーチフェスタも終盤にさしかかり、小雨も降ってきた中、最後の後片付け。
売るあてのないゆずの果汁の残り255本をゆっくり箱にしまった後、プラスになった1万円でみんなとサイゼリヤへ行った。お会計は1万2000円。足りない分はもちろん自腹(泣)。
みんなが注文したパスタとチキンを食べながら談笑している中、僕は思った…
【柚子の良さを日本中に届けて見せる…。】
それから5年後…
ゆず果汁(年間1万本)販売。
さらに翌年…
極ゆず胡椒(年間6万本)販売。
奈良っこ社長の快進撃はまだ始まったばかり。
この物語は(平成26年)の夏の暑い日のお話 奈良っこ社長